報 告

 第12回大分緩和ケアの夕べ

日   時  : 平成19年8月22日(水)
場   所  : アステム 4F 大会議室
参加人数 : 142名 
         医師 12名、看護師 102名、薬剤師 8名、その他 20名 

 今回の第12回の緩和の夕べは田畑先生による、こころのケア、スピリチャルケアであった。その内容は、生と死、スピリチャルとは、仏教とは、生き方など多岐にわたり、がん終末期の患者と立ち向かうときの死生観、幸福に死んでいくとは、などととても内容が深く、意義深い講演であった(文責:山岡憲夫)。


 【 講演内容 】


『スピリチュアルケア:こころのケアとは
〜宗教と医学の協力、老病死の受容〜』



演者: 田畑 正久氏(佐藤第二病院 院長)



 【 講演要旨 】


**25ページにわたる詳細な資料があった。その見出しは下記の如くであった。
1) 医療と仏教は共通の課題に取り組んでいる。
生老病死の四苦の課題、
医療は不老不死を目指すため、最終的には失敗と敗北となる。これに対して仏教は生死を越える道を教えてくれる。
2) 死の不安
3)死とどう向き合うのか
4) 倫理、道徳、
5) 出来る者のための教え
6) 出来ない者を救う教え、無条件の救い
7) 仏教の智慧では
8) 仏教がわかないと
9) 仏教が分らないのはなぜか?
10) 仏教がうなずけるためには


[ 講演の要約 ]
我々現在人の多くは老病死、老いる事、病なること、死ぬ事を受け止められない。そして、生と死を区別して考えている。特に、現在人の医療現場がそうである。
 科学的に私達は、私という人は10の56乗という多くの因が集まって、私が作られている。逆に言えば、10の56乗分の1秒毎に生まれ変わっている。刹那に生きている。人間は60兆個の細胞で作られ、毎日1/200が死んでまた、作られている。つまり、私達は毎日死に、毎日生まれており、同じ1日はない。
 ひとは、幸せになりたいと思っている。そのため、しあわせになるための+(プラス)を集め、−(マイナス)を避けるようにしている。そして、老いることや病気になること、特に死ぬことはもっとも不幸なことであると考えており、このため、ひとは、不幸の完成で人生を終わるのであろうか。
 時間は直線的と思っている。時間は続き、明日はあるのか、
仏教は今しかないことを教えている。死にたくない、長生きしたい:死なない命に巡り会いたい。
 明日こそ幸せになりたい。明日こそ幸せになるんだと、我々は準備ばかりしている。今日は明日のための準備であり、手段である。明日のために今日を生きている。このような考えだと今は不満や不足ばかりであることとなる。
 今を大切にすること。今を永遠にすることにはどうしたら良いのか。
我々は、出会うものに出会えて良かったと思う。“悟り”が必要である。
幸せは“仕合せ“と書く。この世で仕事や使命に出会えたことが仕合わせである。やりがいのある仕事に出会うこと。これこそ幸せである。私の命は多くの巡り合わせで満ちているのである。
 三木清は人生ノートで“幸福とは人格である”といった。
仏教では、今まで、見えなかった世界が見えてくる。私の命は多くの命で支えられている。
“老いる“とは、人間として成熟していくこと。見える命は見えない命で支えられている。
仏の世界では“今が大切である”。
浄土とは“煩悩を滅した世界である”:これが平安な世界である。我々は煩悩が楽しみであり、これが悩みを作るのである。
人間を仏教は9段階に作っている。上中下をさらに3段階に作っている。この中で念仏は下の下である。
家族は大切であるが、家族が居なくても救われる世界がある。
出会うものに出会うこと:そこには永遠の世界がある。
仏は私よりずーとずーと優れている。比べようがない。
仏により、今を生かされている。
今を支えられている。
今を教えられている。あとはおまかせでよいのである。
智慧の目を持っていると幸福に死んでいける。
生きているものに出会えば、死なない。
出会うものに出会えた。
“足るを知る”世界になれば、いつ死んでも良い。
我々は多くのものよって生かされている。
永遠と通じると“今を生かされて居ることに気づく”

我々は人生最後の10年に挫折する。分別のみの世界では物語を持てないからである。
今、ここに生かされている世界:明日はないのだ。それだけで良いのだ。
こころ穏やかに成仏していける世界があるのだ。
死ぬ時期がくれば死んでいけるのだ。

              以上でした。(文責:山岡憲夫)